ライブリスト&ルイ−ドデビューライブについて
年代順に掲載してあります
1984年 1985年 1986年 1987年 1988年 1991年 |
新宿ルイード デビューライブについて
「卒業おめでとう。きみたちは従った。僕は従わなかった。どっちが正しい、間違っているかは関係ない」
「ついこの間、僕は学校を辞めました。やっぱり学校を辞めるって言うことは、学生だった僕にしてみれば、死ぬ
か生きるかってくらいのほんとに大変なことだったんで・・・。考えてみれば、学校なんて、そんな大したもんじゃないのかもしれない。僕の行ってた学校には、礼拝っていうものがあって、これが結構いい話をして、悪人も必ず最後は救われる・・・そんな話を僕は最初は本気で信じて、一生懸命僕もお祈りしてました。だけど、学校を辞める間際になって、僕は礼拝を聞きながら、新宿の何かイカレた連中のことや、ぼろ着てる乞食のことや・・・・別
に生まれたくて貧しく生まれた訳じゃないのに、金持ちと、まぁ生まれ持った運命の中にしっかりあって・・・何か、そんなことを考えているうちに、すごく、祈ってることが陳腐に思えて、一番俺に何が必要かって言ったら、やっぱり強く生きていけるかってことだと思ったんです。この街の熱いハートと熱いビートがいつも俺の胸に聞こえてきます。」
「俺はただ自由になりたいだけなんだ。俺はもう絶対、偽善的な恋愛なんて受けやしないぜ。そーだろ?自由じゃなけりゃ意味がねえんだよ。おまえら、ほんとに自由か?腐った街で埋もれてくなよ。俺たちがなんとかしなけりゃ何にもなんねえんだよ。」
「僕はまだ18歳だけれど、18年間生きてきていろんな人と出会ったけど、その度に、人を傷つけてきたような気がします。」
「俺は15のとき家出して、たった一夜のことだったんだけど、中学の時に、髪の毛を切って来いって言われて俺はそれが、すごく嫌で、10人の友達と家出しました。バイクを盗んだり、冬で寒かったからジーパン屋のジーパンとか着るものを山ほど盗んでみんなでわけたり、訳わかんないことやってた。俺はそれが良い事だなんて、今、けして思っていない。だけど、最後にたどり着いたのが隣町の車のスクラップ置き場で俺たちはそこで寒さをしのぐために、そのスクラップの車の中で眠ることにした。ちょうど明け方の頃だった。1時間か2時間みんなでそこで横になって、結局、俺たちのこと見回りに来てた先生に見つかって、みんな連れ戻されてしまったんだけど。あの時10人の友達が車の中でどんな夢を見ていたのか知らないけど、でもみんな本当にああやって無理やり髪の毛切られるのは間違ってるって思って、それを跳ね除けて正しい道へ、自分の思った正しい道へ進もうとしたことは僕は、大切なことなんじゃないかと今でも思ってるし。そういったあいつらの気持ちを今でも、あいつらにまた、僕自身にこれからもずっと、そういう気持ちは大切にしていかなくちゃいけないと思っています。最後の曲15の夜、聞いて下さい」
「今日は、本当にありがとうございました。まだまだ、歌も下手だし、ギターも下手だし、あまり面
白くないステージだったかもしれないけど、今日は本当にどうもありがとう。俺は一週間前から、もう40度近い熱を出していて今日のために、注射を12本も打ってきました。僕が本当に心から僕の同世代の人に伝えたいのは、いろんな生方があっていいと思うんだ。回りの人間は本当にいろんな事を言うかもしれない。また俺の話になるけど、俺が高校を辞めたってことで、親はずいぶん四苦八苦して雑誌とかに、こんなふうになると載ったりして『まぁ、お宅のお子さん航行辞めちゃったの?』なんて言われると、『いえいえ、そんなことないんです』なんて・・・何か親って、大人ってそうやって臭いものにすぐ蓋をかぶせて、物事をわかったような気になろうとしてるけど、本当はそうじゃないと思うんだ。もっと大切なことってあると思う。それを俺たち若い連中が、これから作り上げていかなくちゃ、俺たち、同じような大人になってしまうんじゃないかと思うんだ。やっぱり今、俺たちに反戦の歌、歌えとか、何か革命を起こすとかそんな、どでかい事言っても無理かもしれないけど、何か些細な事、些細な事をいい加減にして過ごしていかないでもっと真っ直ぐな目を向けて欲しいと思います。今日は本当にどうもありがとう。」