Message From OZAKI

 

 

いつだって幸せを抱きしめていたいさ。信じていたいさ。すべてを捧げるもの。
それが欲望、それが愛。その相反する二面性を持ったものこそが真実なのだから。

人間って一人で生きていけないし、自分の願いとか信念とかが、自分とつながっている、
自分の枝葉の中でも通じ合っている人たちには栄養分だったりとか、触発するものだったりとか、
そういった関係でいながら、分かち合ってゆきたい、そういう気がしますね。

 

僕は、今この世界で生きている。生まれたことに意味があるなら、
僕を求めるものがあるならば、この世界で覚えた戦いと、
幸せを伝えたい。君と生きていくことすらも、分け合えたらいいのに。
ごらん、人の心にはたくさんの他の人の気持ちが宿っている。
僕は、君のために、それを受け止めたいんだ。この場所からずっと。
君のためにも、僕はここにいるから


どんな時でも、より劇的でありたいって。
つまらないと感じることは、最大の不幸だと思うから。


人は他者の目の中に映る自分の中に、自由や愛や夢を見いだす。
互いに見いだしながら、人と人々がいる。
  
    

自分らしく生きることが、きっと一番素敵なんだ。

      

恋だとか、愛だとかいう言葉の後に、何が残るのかな。
僕はただ、お互いを待つことだけだと思うんだ。
心が出会う時をただひたすらに待ちながら、寄り添ってゆく以外ないと思うよ。
それが答えなんじゃないかな。
求めてもいけないし、捨て去ってもいけないんだ。それが愛のルールなんだよ。
時の流れの中でじっと見つめ会うこと。それが愛なんだと思う。

     
    

誠実さは諦めの中には生まれない。
この世には本当にかけひきのない愛がある。それを探して欲しい。
それを見つけることは、とても難しいことかもしれない。
何故なら僕は失格者になって初めてそれに気がついたんだ。
だから遠回りすることも多いかもしれない。
でも負けないでほしい。きっと、きっと探し続けるその先に見つかるはずだから。

    
    

孤独になることも、淋しくなることも誰にも理解されないことも、
それは思うように生きることの、その代償なのかもしれない。

  


人を愛するために、自分は命をかけて人と接していかなければいけないんじゃないか。
少なくとも自分に何かを与えてくれる人や、自分に触れ合う人に対して、
自分を愛するのと同じように愛していかなければいけないんじゃないかと思っている。
だから少なくともそんな人のためには命を張っていきたいと思ってる。

  

  誰もがすべてを受け止める自信があるって思えた時、
本当の愛とか自由を手に入れることができるんだ。
 


何よりも大切なのは愛。
心が求めているのは安らぎ。
安らぎは笑顔。
笑顔は優しさ。  
  
 
    

ただ不満を待ちながらもいい子の顔をしてる奴等よりは、
おろかな弱さを持ってる連中のほうが、僕は好きだった。ずっと。

 
 
    

会わなくても、話をしなくても、そいつらがいるだけで、
あっ、あいつもがんばっているんだなって思える。
友達ってそれでいいんじゃないのかな。

  
    

俺の人生なんて何も無い夜の国道沿いを歩くようなもの。
でもね、考えれば考えるほど思うんだよ。俺にとってはそれが人生。
無表情な毎日が記念日。

  
誰もが一人で生きる強さを求める。
誰もが何かに頼って生きる。
きっと僕と同じ護送バスに乗っている芸能人も、
戦場のような人生と戦っているんだろう。
それを取り囲むファンは、その闘う姿に何かを見つけるんだ。
  
      

とにかく真実を伝えたいだけなんだ。
みんなはそんな僕を、どれだけわかっているだろう。
そして、みんなに問題がどれほど伝わってるだろう。

  
      

全ての真理を求めるものよ。
優しく戦え。
優しさによって立ち向かえ。
社会という共同体は常に誰もが己の欲求を抱えている。
それを止めることなど出来はしない。

      

僕は人生相談の先生でもなんでもない。
仮に僕が結論を出しても、何も意味が無いと思うんだ。
自分で見つけた結論じゃなきゃ本当の結論じゃない。

  
        

どんなことをしてても、君が生きていて、君がどんな風な人生っていうか、
生き様を刻んで行くかっていうことが、僕は一番大切なことだと思うし、
僕自身、俺は満足した生き方をしたっていうものを描いていきたいから、
たとえ何と言われようとも自分の夢やそういったものを追い続けて。

    
  

俺は少なくとも自分自身の真実をつかむために1日1日を生きていきたい。

    
    

走るっていうのは、同じ所にいないってことですよ。
もちろん走り続けていくこと。

  
      

僕ら人間が生きていく上には、さまざまな壁が待ち受けてる。
それをどうやって乗り越えていくか。
何度も何度も葛藤を繰り返したのち、もしそれを克服できたなら、
その時こそが、卒業と呼べるんじゃないかと。
卒業=克服。それはまた新たに、生まれることといってもいいかもしれない。

     
    

いつもこんな風に考えていた。僕は間違えるかもしれない。僕は傷つくかもしれない。
僕はうまくいかないかもしれない。だったら何が『それでもいいさ』なんて言えるんだろう。


   
    

ノーペイン・ノーゲイン。痛みがなくっちゃ何も手に入らない。
そういう気持ちで生きていった中で、未だ答えが出ていない。
その答えっていうのはたぶん、これからの仕事に出ていくんだと思うんです。


    

どんなウマが合わない人間であっても、やっぱりその人の笑顔を捜してゆくのが
大切なんだってことを言いたくて。

   

人間は痛みを忘れるようにできているじゃないか。
人間は明日を信じることを当然のように思って生きているじゃないか。

 

 どうすれば、人に希望や感動を与えることかできるだろうかって考えることは、
もしかしたら、すごく傲慢な行為かもしれない。  
  
   
    

信じるから裏切られるんだし、与えるから奪われる。そう言いたいんだけど、
でも、裏切られたくないなら、信じることから、始めてごらん。

  
      

僕はチャレンジする可能性のある同世代に、
正しいことは叫ばなきゃいけないことを伝えたいんです。
叫ぶ勇気を持たなきゃいけないってね。

      


1度でいいから、全人類が、ある一瞬、一秒間でもいい、
みんながほんとに幸せだって思えるその瞬間が
あらわれることを期待していて、ずっとそんなことを考えているんだけど。



      

人生は、きっと自分のしたい事のためにあるんだと思う。
だから、時間があると思う人や、まだ何かできると思う人は、
今のうちにうんと沢山、心の財産を増やしておくといいと思う。
そうすれば、君が求めているその夢にきっと辿り着ける、僕はそう信じているから。

      

最近わかったのは、どんなつまらない笑顔の中にも、どんなつまらない言い訳の中にも、
どんなつまらないウソの中にも、
その人の生活がある。そんなことぐらいかな。

  
      

僕は、いろんな音楽や、いろんな本に感激して、その度に明日を信じた。
それを分け合うことがどれくらい難しいことなのか、もうずいぶん僕は味わってきたような気がする。

  
  
    

ひとりぼっちになると、いつも自分を見失いそうになる。
だけど、そんな時、自分が本当にどれくらいの愛を持っているか、わかるようなきがする。
みんなは街の中で、どんなものに出会うんだろうって。

  
    

僕は生きていくこと自体、誰もが意味あることをなしているんだと思うし、
そういったものに結論がつかない限り、僕は愛っていうものを信じて歌っていく人間でありたい。