2022.04.10
第62回「ASKA Terminal Melody」~ゲスト「尾崎裕哉」君
Twitterで、
「今週のゲストが誰なのか数日前に知りました。
へぇ・・・。彼が出てくれるのか」
と、書きました。
昨年秋頃まで、僕は毎回ゲストが誰なのかを知らされていませんでした。
「Terminal Melody」が進むにつれ、
ゲストの皆さんが語ってくれる僕とのエピソードに、番組制作スタッフが熱くなってくれています。
最近では、僕の出演回に、お招きするゲストの方々のリストを見せてくれるようになりました。
「長いこと音楽活動をやっていると、いろんな方々との出会いがあったのだなぁ」と、ゲストリストを見てそう思います。
今月は「尾崎裕哉」君でしたね。
「彼とは、思い出があるんだよなぁ」
と、呟いたのを、スタッフは見逃していませんでした。
裕哉君が語ってくれたように、彼とは、ツアーのリハーサルをやっていた時が初対面でした。
緊張していたのか、そこでは口数も少なかったな。
その後、すぐにウチに遊びに来てくれたんです。
彼は、迷っていた。
「音楽をやりたい。しかし、自分の声はお父さん(尾崎豊)と似てる。
お父さんの息子として紹介されるだけで、自分の音楽を認めてもらえないのではないだろうか」
そんな不安を抱えていました。
俗にいう「二世アーティスト」が、誰しも抱える不安と葛藤です。
「自分は自分だ。親とは別だ。比べられたくない。そして親の七光りと言われて世の中に出たくない」
「七光り」って、差別だよね。
酷い言葉だと思います。
僕は、確か裕哉君にこう言ったんだよな。
「お父さんはすごいシンガーだった。若者なら誰しもが抱えたり、通り過ぎなくてはならないことの代弁者だった。
で、何を悩んでる?声が似てる?当たり前じゃないか。お父さんの血を引き継いでるんだよ。
お父さんに憧れて音楽をやっている人はたくさんいる。それは、お父さんが世に巻いた種。だけど君は違う。
声はお父さんから譲り受けたDNA。そこをマイナスに感じちゃダメだ。お父さんのファンは、今でも熱い。
君の歌は、モノマネではなく、お父さんの血を引き継いだ声なんだよ。僕は、君の『I Love You』を聴きたいな。デビューする時が来たら、お父さんのファンを泣かしてあげなよ。
そんなことができるのは君しかいないんだから。
このように文字にしてしまうと、
やっぱり上から目線のような温度を放ってしまうなぁ・・・。
でも、本気で、そのように思ったのです。
僕も熱く語りましたからね。
裕哉君は、音楽業界に飛び込む時、相当の勇気だったと思います。
まずは、世間の興味に晒されますからね。
それから、数年の時が経ち、
裕哉君が、ステージで「I Love You」を歌っている光景をテレビで観ました。
お客さんの涙の光景が映し出されました。
胸が熱くなった。
「やったじゃないか」
そう思ったのを覚えています。
親子なんだ。
血が繋がってるんだ。
別のものになろうとすることには無理がある。
それへの抵抗で心をすり減らす時間が勿体無い。
そのうち、自分が何をやりたいかの方向がしっかり見えてくるものです。
「尾崎裕哉」を確立すればいい。
そんなことを思いながら今日のラジオを聴かせてもらいました。
あの日、僕の部屋を出て行く時の裕哉君の顔は忘れられないな。
ASKA(2022/4/11 1:04)
2022.04.18
第63回「ASKA Terminal Melody」~ゲスト2週目「尾崎裕哉」君
先週に続いて「尾崎裕哉(ひろや)」君が、出演してくれました。
彼が選んでくれたのは、
「MIDNIGHT 2 CALL」
だったか。
この曲、もう多くの方がご存知のように「シブガキ隊」の「布川敏和(通称フッ君)」君に書いた曲でした。
当時、僕は先日語った「中目黒」に住んでいました。
その前は、渋谷の「神泉」。
その「神泉」に住んでた頃、ジャニーズ事務所でマネージャーをしている方の家に呼ばれた。
そこに「フッ君」が居たわけです。
すごく人懐っこかったな。
そこで電話番号を伝えてからだな、親しくなったのは。
その後、僕は中目黒に引っ越し。
引っ越しして間も無く、テレビ番組で「シブガキ隊」と一緒になるわけです。
その時、
「遊びに来いよ」
「はい、行きます」
このような会話の後、すぐにフッ君から電話がありました。
僕が、毎月のお給料分だけの家に住んだことは、もうここで語ったかな。
確か、あの頃「20万円」だった。
で、借りたマンションは月「22万円」
毎月のお給料を当てにするミュージシャンではダメだと思ったんです。
「自分は音楽で食べて行く。お給料をやりくりして生活したくない。楽曲の印税で食べて行くんだ」
こう書くと、カッコ良く見えますが、今から思えば、無謀な生き方でしたね。
でも、今でも根底にはそういうところが確かにある。
住む街東京。
26歳で3LDKのマンションに住んだ。
そこは1階が喫茶店でしたから、その喫茶店の方が天井を防音にしてくれてたんですね。
なので、音は出し放題でした。
ピアノを買った。
ようやく曲を作れるくらいのコードを押さえられるようになった。
「弾ける」なんてもんじゃないです。
コードを鳴らす程度。
そんな時にフッ君が遊びに来てくれたんだな。
二人で1時間ほど話していた時だったかな。
「今度、アルバムを作るんです。そのアルバムにはソロで歌う曲が必要で・・・。曲を書いてくれますか?」
と。
「こっちにおいでよ」
と、別の部屋においてあったピアノで、おもむろに歌ってみた。
「こんな感じどう?」
「すごく好きです」
それが「MIDNIGHT 2 CALL」のスケッチとなるメロディでした。
その後、事務所に正式に楽曲依頼がありましたので、完成させました。
そうだね。
「MIDNIGHT 2 CALL」が、ジャニーズとの出会いの曲になり、
その後「光GENJI」へと繋がったんだった。
フッ君が歌った「MIDNIGHT 2 CALL」を、同じ「シブガキ隊」の「本木雅弘」君がカバーしたことも大きかったかな。
ジャニーさんの頭の中に 僕がインプットされたのは、そのような出来事があったからでしょう。
「職業作家ではなく、アーティストに楽曲を任せてみる」
そうか、それで「光GENJI」だったか。
ブログによる回帰って面白い。
今、繋がった。
その「MIDNIGHT 2 CALL」を、僕のソロアルバム「SCENE」でセルフカバーした。
それを、アメリカに住んでいた「尾崎裕哉」君が聴いていた。
編曲家「十川知司」に友人を紹介された。
その友人は、ライブのエンジニア(ミキサー)だった。
その彼と親しくなった。
親しくなった彼が「尾崎裕哉」君を連れて、僕のリハーサルを見に来た。
そこで「裕哉」君を紹介された。
あの時、口数が少なかった裕也君は、僕を「怖い人」だと思っていたんだ?
それで、緊張していたのか(笑)
今日の「ASKA Terminal Melody」で、それが分かったよ(笑)
君にしかできないことをやっていけばいいんですよ。
君の声はお父さん譲り。
その声の音色にお父さんを感じるファンがいて当たり前。
当たり前の中で、尾崎裕哉を確立していこう。
君にしかできないことなんだから。
って、先週も書いたか(笑)
21日(木)、
また一緒のステージに上がれることを楽しみにしています。
「尾崎裕哉」君、
2週に渡ってのゲスト出演、ありがとうございました。
ASKA(2022/4/17 25:48)